市史だより132 (「広報いとまん」 平成13年7月号) ある日系人の戦争体験

2013年2月1日
市史だより132 (「広報いとまん」 平成13年7月号)
ある日系人の戦争体験
     
 昭和16年(1941)12月8日、日本軍の真珠湾攻撃により太平洋戦争に突入。この攻撃は当然ハワイの日系人社会にも大きな波紋を投げかけました。同日の「ハワイ報知」の社説は「起こり得べからざる事」と思われていたことが起こったとし、住民に対して米国に忠誠を誓い、冷静を保ち、軍部に服従するよう呼びかけています。さらに同紙はこの時49人の死者が出たことを報じています。
 日米開戦により、米政府は日系人を敵性国民とみなし、日系人の検挙や学校の閉鎖、米国内の日本銀行の接収等、日系人社会への圧迫を強めました。
 平成7年に実施した「糸満市戦災調査」では、昭和20年当時322人のハワイ在住の糸満市域出身者が確認されており、そのなかには米兵として沖縄戦に参戦した人がいたことも分かりました。
 今回紹介する金城秀夫さん(大正10年生)は字糸満出身の2世で、少年期を父親の出身地である糸満で過ごしました。金城さんは米国の市民権を持っていたにもかかわらず、日本での教育歴があるとの理由で、開戦後米政府に検挙され、数ヵ所の収容所を転々とさせられました。
 以下は金城さんの証言。「私は日本で教育を受けたということで、ホノルル港の向かいにあるサンドアイランドという所に監禁されました。日付は覚えていませんが、開戦の翌日だったと思います。フェンスを隔てた所には日本兵が収容されていました。毎朝日本の方角に向かって最敬礼をする彼らの一糸乱れぬ行動がとても印象的でした。その後米大陸の収容所に移されることになりました。私たちを乗せた船は十数隻で船団を組み三隻の駆逐艦に護られながら、一方では毎日高射砲の実弾演習を続けながら航行し、ハワイを出て14日目にサンフランシスコに入港。そこからユタ州のトパズに送られました。ここには米国西海岸方面から立ち退きを命ぜられた日系人が収容されていました。ここで米政府から『天皇に弓が引けるか』、『米軍に志願するか』の質問を受けました。この時『ノー』と答えた人たちはカリフォルニア州のツールレイクに送られました。その収容所のは私を含めて方々の収容所から、米国への不忠誠を表明した人たちが送られてきていました。終戦後テキサス州の収容所に送られました。そこにはドイツ人や米国の日系人、南米からの日系人が収容されていました。昭和22年の秋、ニュージャージー州の農園で働くことを条件に出所し、長い監禁生活に終止符を打つことができました。」
     
昨年11月、ハワイ糸満市人会の皆さんと故郷を訪ねた金城さん(中央)
   
 糸満市教育委員会では南洋や南米、アジア各地へ移民した本市関係者の情報収集を行っています。市民の皆さんからの情報提供をお待ちしています。
   
   
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