市史だより134 (「広報いとまん」 平成13年10月号) 第1回ハワイ移民

2013年2月1日
市史だより134 (「広報いとまん」 平成13年10月号)
第1回ハワイ移民
    
 世界のウチナーンチュ大会が開催されたこともあり、この秋は各地で移民や国際交流に関する催しで賑わっているようです。
 「移民県沖縄」の海外移民の始まりは、1899年(明治32)のハワイ移民に遡ることができます。
 現在ハワイには、4万5千から5万人近くのウチナーンチュの血を引く人々がいると言われていますが、その先駆が第1回ハワイ移民の26人です。1899年12月5日に那覇を出航した一行は、鹿児島・大阪・横浜を経由し、翌年の1月16日にホノルル港に上陸しています。この時の団長が字糸満出身の上原九八郎だということは、あまり知られていないようです。
 さて当時の移民の暮らしはどのようなものだったでしょうか。1950年3月14日付けの「うるま新報」に、第1回移民の1人としてオアフ島に渡った金武町出身の安富祖利八への取材記事があります。当時を振り返り安當祖は次のように話しています。
 「当時のハワイには既に福島、広島、長崎、新潟県人等が相当入り込んでいた。私達は皆エワ耕地の大□式の砂糖きびの栽培に従事したが、何しろ殆んど文盲で英語もわからず、又日本語もわからず、黒人の作業監督にがんがん言われて、あまりの苦しさに夜畠の中で大男達が泣いたこともある。それでも皆頑張っていた。1日の労銀50仙、邦貨にして1円になっておったが、作業はきちんと朝6時から就業、その中30分休憩の10時間労働であり、皆自炊しておって、たたみ1枚に1人の割でごろ寝していた。しかし翌年の4月には契約廃止となって自由となったので28名(26名の誤りと思われる)の人が皆□い□いの□に散らばってしまった。金がたまる頃の3年後まで頑張って、私は27歳の時帰ってきた。あのエワ耕地では、数字が読めなくて自分達の積んだキビトロッコはいつも大和人に横取りされていたことを思うと、今からの移民は高い学問と常識を備へなければ結果は苦労のみに終るということを私はさけび度い」。

 ところで本市出身の移民はどんな状況にあったでしょうか。糸満市教育委員会では「移民・出稼ぎ」についての調査を実施しています。今年度は主にハワイ移民についての調査と情報収集を行っています。現在ハワイにいる1世、2世の方々についての調査も実施します。あなたの知っている方の情報をお寄せください。
   
※本文中の□については原本が判読不可の意
    
明治39年、16歳でハワイに渡った字糸満の玉城秦さん(前列右から二番目)とその家族
(玉城せん子さん提供)
    
    
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