市史だより135 (「広報いとまん」 平成14年2月号) 福地住民の戦争体験

2013年2月1日
市史だより135 (「広報いとまん」 平成14年2月号)
福地住民の戦争体験
    
 今回の市史だよりでは、昨年の世界のウチナーンチュ大会で10数年ぶりにブラジルから帰省した、福地出身の大城サチさんの沖縄戦での体験を紹介します。
 『糸満市史』によると、昭和20年1月現在の福地の本籍人口は317人。沖縄戦を体験した住民は241人で、山原へ疎開した人はなく、住民の多くが地元のンタヒーアブやアカサー壕に避難。戦況の悪化に伴い、次第に海岸に追いつめられたようです。沖縄戦当時22歳で独身だった大城さんは、家族とともに避難先を転々としたと言います。以下は大城さんの証言。「お父さんは防衛隊にとられ留守。お母さんや嫁さん、姪たちと避難しました。空襲の初めのころはアカサー壕にいましたが、米軍がこちらに上陸してからは、福地の前のメーンタキという所にあるンタヒーアブに隠れました。部落の人もこの壕に避難してました。このンタヒーアブは抜け穴がなくて、雨が降ると湿って空気が悪く、小さな子供などは危険でした。それで束辺名に日本軍が造った防空壕があったので、そちらに避難しました。多くの福地の人が一緒でした。米軍の攻撃が次第に激しくなったので、そちらから出て喜屋武望楼近くの海岸に行きました。そこはアダンが浜一帯にあって、その下にいると上からは見えないというぐらいの所でした。そこに避難する時は、絶壁のような所を降りて行くんです。
 元気な者は次々降りて避難したんですけど、お年寄りは家族が支えても、降ろされる所ではないんですよ。それでシマのおじいさん、おばあさんをそのまま上の広っぱに置いて、若いのは泣く泣く降りてきたんです。私たちはその海岸で捕虜になりましたが、その後そのお年寄りの方々はどこへ行ったのか、米兵に連れられどこかに行ったのか、家族が捜しても分からないままの人たちもいました。」
   
    大城サチさん
    
   
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