市史だより136 (「広報いとまん」 平成14年5月号)太平洋を渡った豚たち

2013年2月1日
 
市史だより136 (「広報いとまん」 平成14年5月号)
太平洋を渡った豚たち
    
 糸満市教育委員会では『糸満市史 資料編6 移民・出稼ぎ資料』編集のため、2002(平成14)年1月15日から30日までの16日間、糸満市出身のハワイ移民に関する現地調査を実施しました。
 糸満市のハワイ移民の歴史は、1899年(明治32)に始まります。戦前の海外渡航の記録簿である「海外旅券下付表」を見ると、明治37年から昭和15年までの間に、約千百人の本市出身者がハワイに渡るために旅券の発行を受けたことがわかります。
 今回の調査では、本市出身の4人の一世をはじめ四十数人の本市関係者からそれぞれの体験を聞くことができました。また明治39年の旅券や渡航証明書、高嶺間切当時の戸籍謄本など貴重な資料を収集することもできました。
 下の写真も今回収集したもので、敗戦後の沖縄に豚を贈る運動を展開したハワイの関係者たちが写っています。首からレイをかけた前列両脇の6人が、アメリカ本土から沖縄まで豚を送り届けた男性たち。この写真はハワイを立つ前に撮影したものと思われます。
 レイをかけた男性のうち、右から3人目は宇江城出身の仲間牛吉氏。仲間はオアフ島で大規模に養豚業を営んでおり、養豚についての豊富な知識と技術をかわれて沖縄行きの輸送船に乗ることになりました。
 また左から4人目はこの写真の提供者メイ大城さんの父親で、真栄里出身の嘉数亀助氏。金融会社を営みハワイのウチナーンチュの指導者的存在であった嘉数は、沖縄を復興させるには食糧支援も大切だが、産業の復興、特に養豚業の復興も重要であるとして、豚を沖縄に贈ることを提案。輸送船の手配や船に乗る人選にも大きく関わったと娘のメイさんは話していました。
 豚を積んだ米陸軍の輸送船は、1948年9月、米国ポートランド港を出発し、約4週間後の9月27日に沖縄ホワイトビーチに到着。
 1948(昭和23)年8月5日付「沖縄新民報」には、「優良豚五百余頭、沖縄へ近く送出」の見出しで、ハワイでの沖縄支援運動について「ハワイ連合沖縄救済会の沖縄向け豚輸送運動は同胞の間に大きな反響をよんで5万ドル余の資金募集に成功。マッカーサー司令部の認可で米陸軍が輸送船を提供することになり、待望の豚船ははるばる太平洋を越えて近く沖縄入りの予定である」と伝えています。
    
   
   
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