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糸満ハーレーの歴史

2013年2月1日
糸満ハーレーの歴史
 
旧暦5月4日には、沖縄の各地でハーレーまたはハーリーと呼ばれる行事が行われている。とりわけ糸満のハーレー祭りは、糸満漁民の信仰生活との深い関わりがあり、その儀礼の様式も古くからの形で伝承されている。
 

 
 
 
糸満のハーレーの伝来については明らかな記録はないが、1745年に書かれた琉球の歴史「球陽」には次の3説がある。
 1.ビン人36姓が琉球に来て那覇の江で龍舟競渡をした。
 2.長濱大夫という人が南京でならって来て龍舟をつくり、5月始めに競渡をした。
 3.南山王の弟汪応祖が、南京に留学し、国に帰って豊見城の城主となり、中国でみた龍舟をつくって5月の始めに城下の江で競渡をした。人々がこれをまね、その後は那覇、久米、泊村の龍舟は豊見城ヌルによるイビでの祈願がなされるようになったことが書かれてある。
 
1403年に汪応祖は、南山の王位につき、これまで豊見城下の江でおこなっていた競渡を、南山の貿易港である糸満で行うようになったとも考えられるが、むしろそれよりも以前に、南山王は中国との交易で航海安全を祈願するため、サンティンの聖地で南山ヌルによってウグヮンバーレーの儀礼がなされていたとしても不思議ではない。
 
 
<ウグヮンバーレーの儀礼>
ウグヮンバーレーの儀式は、昔からの伝承によって字大里から迎えた南山ヌル(山川ヌル)が主祭し、糸満ヌル・根人などのカミンチュ(神職)の外に、門中の代表なども参列して始めに山巓毛で行われる。海神への航海安全や豊年の祈願が終わると、これに引き続いてウグヮンバーレーの出発を合図する旗振りの儀式がある。そのころ、港の方では、ウグヮンバーレーの舟が並んで出発の合図を待っている。
山巓毛でおこなわれるウグヮンバーレー出発の旗振りの儀式には、南山王からその役目をあたえられたと言い伝えのある屋号・徳屋の子孫が今日までその役目を受け継いでおり、一家や一門の誇りとしてその役目を果たしてきている。徳屋家には、南山王から役目とともに授かったといわれる旗も代々受け継がれていたが、沖縄戦で焼失したため、戦後複製したものが今は使われている。
 
 
<中国古代の競渡と糸満ハーレー>
国立民族学博物館研究報告二巻一号「竜神(竜女)説話と竜舟祭」(1)によれば、中国では古くは舟の飾りに水鳥が使われてあり、水鳥は風に耐えて飛び、これにあやかって水神を鎮撫するためという。雲南省晋寧県石寨山土出遺物の銅鼓の舟紋は、糸満のウグヮンバーレーによく似たものである。サバニに似た舟には竜の飾りはなく、糸満のハーレーブニの様に波形の紋が書いてあり、漕ぎ手は頭に鳥の羽を差し、カジトゥイ(かじ取り)は櫓を使わずにウェークを握っている。そのうえ舟の中央にはデーフィも立っている。ウガヮンバーレーとそっくりの絵には、舟のまわりにあひるらしい水鳥までも泳いでいる。
糸満のハーレーブニには龍の飾りがない。昭和15年鉄道省編「諸国年中行事」によると、中国福建の地方では、龍の飾りを付けない競渡があり、あひる取りの競争があった事まで明らかにしてある。昔南山の進貢船の航路であったビン江のほとりには、競渡のときにあひる取り競争があった。
写真(下)は、雲南晋寧石寨山出土の銅鼓の船紋 (資料:島袋良徳氏)
 
 
 
 

 
 
銅鼓の舟紋について、中国の「文物」誌に発表された「雲南晋寧出土銅鼓研究」によれば、この舟が狭長的輕舟(細長くて軽い舟)で、漕ぎ手の男たちの様子は、現在の長江(揚子江)流域でみられる競渡に類似することを述べている。この舟紋の競渡は、糸満ハーレーの源流ではないかと考えさせるものがある。

 

【会場】糸満漁港中地区

【主催】 糸満ハーレー行事委員会 (糸満市字糸満603-1 糸満漁業協同組合内  ☎098-992-2011)

 

地図

糸満漁港 中地区