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ハーレーの名称由来と発祥

2013年2月1日
ハーレーの名称由来と発祥
 
従来、糸満のハーレーも、ハーリー(爬龍船)としてマスコミはあつかっていました。糸満の中でも、チュジューニン(寄留人)はハーリーと呼んでいましたが、糸満のウミンチュ(漁師)たちは伝統を守ってハーレーと呼び続けてきました。1977年開催の行事委員会で、ウミンチュたちの意見が尊重され、呼び方をハーレーと統一するよう全会一致で決まり、以後はマスコミもハーレーと扱うようになりました。
ところで、南島文化圏(沖縄文化圏)の中には、古くからフナハラシ(小舟を並べて漕ぎ走らせくらべをすること)のことを「ハレ」と呼ぶところがあります。1850年代に奄美大島の風物をまとめた「南島雑話」に、伊津村の「ハレコギの図」があり、競漕の舟を 「ハレブネ」と呼んでいたようです。
「沖縄県教育委員会文化課紀要・第1号のくらしと祭り 大城学」によれば、鳩間島の豊年祭にサバニの競漕があり、これを「パーレー」と呼んでサバニを「パーレーフニ」と呼んでいる。
琉球最古の古語辞典といわれる「混効験集」の中では、昔から使われていた「ハレ」ということばについて、次のように説明されています。「ハレは、走という事、はしれを中略也」 これらのことからみると、走らす舟をハレブニと呼んでいることは、沖縄の古語が今も使われているということであります。
<三 村>
字糸満は、西村(ニシンダカリ=現在の西区、上の平)が集落発祥の地であり、その子孫によって中村(ナカンダカリ=現在の町端)、新島(ミージマ=現在の新島、新屋敷、新川、前端、南)の順で集落が形成されてきた。それ故、古くからの伝統を重んじるこの行事では、アガイスーブの村船を三周する儀式やヌン殿内での盃を受ける儀式でも、競漕の順位に関係なく、親元を重んじ敬う意味から西村を先頭にして中村、新島の順で行われるのである。
字糸満には古くから「西村や むとぅぎ(親)、 中村や なしぐゎ(子)、 華ぬ新島や んまが(孫) でびる」と言う歌詞が言い伝えられている。
 



<わかしバーレー>
かつては、西村・中村・新島の各村ではハーレー舟の選出を行いました。ハーレー鉦の鳴った日からハーレーの日までに、たくさんのサバニの中から早い舟を決め、トーナメント方式で最強の二艘を選びました。その二艘も競漕して、早いサバニを上イバーレー用に、そしてもう一つを御願バーレー用に用途を分けました。
わかしバーレーは、ハーレー用に使うサバニとそうでないもの、また種目別に分けることから、そう呼ばれるようになりました。現在は、行事委員会の舟で種目別の選考会を行っています。
 
<グソーバーレー>
ハーレーの行われた翌日は、海で亡くなった人たちが海上でハーレーをすると昔から言い伝えがあります。そのハーレーのことをグソーバーレーと呼んでいます。
言い伝えによると、昔、ハーレーの翌日に漁に出たら人影もない海で舟を漕ぐ音やヘーシ(かけ声)が聞こえてきたそうです。まるで、ハーレーのにぎやかさが聞こえたということです。そのため、糸満ではハーレーの翌日は、漁に出ないのが習慣になっています。その一日を休んでハーレーの疲れをいやし、ウミンチュらは次の日からバリバリ働くのです。
 
<ヌ ル>
ハーレーは、ヌルの拝みが重要です。昔は、糸満にヌルがいなかったので、南山城のあった大里からヌルを招き御願したそうです。
糸満にヌルが誕生してからも、大里ヌルが来て御願する習わしになりました。大里にはヤマガーとニシメのヌルがいますが、ハーレーの御願に招かれるのはヤマガーのヌルです。
今日までも、山巓毛や白銀堂での拝みの際は、その座る位置が決められたまま続いているのです。

 

 

【会場】糸満漁港中地区
【主催】糸満ハーレー行事委員会 (糸満市字糸満603-1 糸満漁業協同組合内  ☎098-992-2011)

 

地図

糸満漁港 中地区