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平和祈念公園

2013年2月1日
平和祈念公園 一日 日帰り 半日

平和祈念公園

「世界の恒久平和を祈念し、平和情報を発信する場所」

平和祈念公園は本島南部の「沖縄戦終焉の地」糸満市摩文仁の丘陵を南に望み、海岸線を眺望できる台地にある。公園内には沖縄戦の写真や遺品などを展示した平和祈念資料館、沖縄戦で亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ「平和の礎」、戦没者の鎮魂と永遠の平和を祈る「平和祈念像」、そして摩文仁の丘の上には国立沖縄戦没者墓苑や府県、団体の慰霊塔が50基建立されている。国内外の観光客をはじめ、慰霊団、修学旅行生等が多く訪れる聖地であり、観光の要所ともなっている。また、休日には多くの家族連れが繰り出し、広い芝生で球技を楽しんだり、ピクニックやレクリェーションの場として利用されている。

 

【場所】〒901-0333 沖縄県字摩文仁577
【TEL】098(997)2765
【FAX】098(997)2767
【駐車場】あり(無料)

 

沖縄県平和祈念資料館 一日 日帰り 半日

平和祈念資料館

「沖縄戦に関する様々な資料を収集した博物館」

沖縄県平和祈念資料館は戦争の犠牲になった多くの霊を弔い、沖縄戦の歴史的教訓を正しく次代に伝え、全世界の人びとに沖縄のこころを訴え、もって恒久平和の樹立に寄与するため設立された。常設展では、なぜ戦争が起こり沖縄戦へと至ったかの流れや、住民の視点からみた沖縄戦の状況、終戦から日本復帰までの沖縄の歩みが紹介されている。

 

摩文仁の丘 一日 日帰り 半日

摩文仁の丘

「沖縄戦終焉の地」

敗戦が濃厚となり、後退していた軍司令部が最後に辿り着き、自然壕を利用した第32軍司令部壕が置かれた。組織線最後の砦となった場所である。 背後には崖がそびえ、第32軍司令部壕は逃げ場所を失った日本軍は、6月23日に司令官牛島満中将が自決したことにより組織的抵抗は終わりを迎えた。しかし、アメリカ軍からの攻撃はやまず、事実上の戦いはそれからも続いた。 現在は、数多くの慰霊碑が置かれ祈り場としてはもちろん、広い芝生が憩いの場所となっている。

 

平和の礎 一日 日帰り 半日

平和の礎

「太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して戦没者全員の氏名を刻んだ記念碑」

沖縄の歴史と風土の中で培われた「平和のこころ」を広く内外にのべ伝え、世界の恒久平和を願い、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなられた全ての人々の氏名を刻んだ記念碑「平和の礎」を、太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して1995年6月23日に建設した。刻銘碑は、平和の広場を中心にして放射状に円弧の形で広がりをもって配置されている。これらは屏風状に並び、5つ折タイプ69基、3つ折タイプ49基の合わせて118基、刻銘版は、1,220面に及び、約25万名の刻銘が可能。戦没者の追悼と平和祈念・戦争体験の教訓の継承・安らぎと学びの場の3つを基本理念としている。メイン園路は、その中心線が6月23日の「慰霊の日」における日の出の方位に合わせて設定されている。平和の広場は、断崖絶壁から海岸線、波打ち際を眺望できる位置に設置されています。平和の広場の中央には「平和の火」が灯されている。この「平和の火」は、沖縄戦最初の上陸地である座間味村阿嘉島において採取した火と被爆地広島市の「平和の灯」及び長崎市の「誓いの火」から分けていただいた火を合火し、1991年から灯しつづけた火を、1995年6月23日の「慰霊の日」にここに移し、灯したものである。

 

韓国人慰霊塔 一日 日帰り 半日

韓国人慰霊之塔

「強制徴用され、軍役した韓国人を祀る慰霊の塔」

日本軍に強制徴募され軍夫として沖縄戦で犠牲となった朝鮮半島出身者を祀る。1975年韓国人慰霊塔建立委員会によって石塚状の慰霊塔を建立。韓国から取り寄せた石が石塚の正面に並ぶ。石塚手前広場の矢印は故郷の方向を示す。朝鮮半島から連行された人々は最も立場が弱かったため、最も危険にさらされ、かつ虐殺された者もいた。

 

平和祈念堂 一日 日帰り 半日

平和祈念堂美術館

「国民の平和願望、戦没者追悼の象徴」

沖縄県民はじめ全国民の平和願望、戦没者追悼の象徴として、1978年(昭和53年)10月に設立された。堂内には、沖縄県下の各市町村及び学童による募金活動の支援を受けて、山田真山氏が 18年余の歳月をかけて原型を制作した沖縄平和祈念像が安置されてる。その胎内には「平和の礎刻銘者名簿」が納められている。他にも西村計雄氏が平和への思いを込めて制作した 絵画「戦争と平和」(20点連作,各300号)が堂内の壁面を飾り、敷地内には佐藤忠良氏制作によるブロンズ製の「少年」の像をはじめ、 祈念堂の理念に賛同した日本画壇の第一線で活躍する画家から贈られた大作を展示する美術館などを設置している。このように沖縄平和祈念堂の理念に賛同した日本を代表する多くの芸術家からの協力を得た沖縄平和祈念堂は、「美と平和の殿堂」として、訪れる人々に戦没者を追悼する役割を果たすと共に恒久平和の実現を訴えている。

 

【場所】〒901-0333 沖縄県糸満市字摩文仁448-2 平和祈念公園施設内
【TEL】098(997)3011
【FAX】098(997)2678
【HP】http://homepage2.nifty.com/kinendo/index.htm

 

沖縄師範健児之塔 一日 日帰り 半日

沖縄師範健児之塔

「沖縄師範学校男子部の生徒たちを祀る慰霊の塔」

教員養成機関であった沖縄師範学校男子部から動員され、教師19名と学徒226名を含む同窓生290名を祀る。1950年建立。米軍が沖縄本島に上陸する前日の1945年3月31日に全職員生徒へ防衛召集。386名の学徒は陸軍2等兵の身分を与えられ25名の教職員と共に動員された。学徒は負傷兵の治療の補助、陣地構成、炊事、立哨、情報収集や伝達などの任務を担った。それぞれの隊では摩文仁撤退後も弾雨の中、伝令や水汲みなど危険な任務を行っていたが、残存兵と共に斬り込みを命じられた学徒もいた。また、「敵中を突破して北部へ行き再起を図れ」との解散命令により、数名単位に分かれて壕から脱出を試みた学徒も米軍の掃討戦により多くが犠牲となった。「沖縄師範健児之塔」の後方には、1946年3月に金城和信氏により建立された「健児の塔」や沖縄師範学校の生存者や関係者により、友情・師弟愛・永遠の平和を3名の学徒により表した「平和の像」が並列して設置されている。

 

【場所】〒901-0333 沖縄県糸満市字摩文仁548 平和祈念公園の西側

 

沖縄工業健児之塔 一日 日帰り 半日

沖縄工業健児之塔

「沖縄工業学校の生徒たちを祀る慰霊の塔」

沖縄県立工業学校の学徒や教職員を祀る。1945年3月23日に首里城へ集合して鉄血勤皇隊を結成する予定だったが空襲のため実現できず。約30名が石部隊へ入隊予定だったが詳細の連絡が無かったため、一時帰宅。帰宅せずに残った校長以下4名の教職員と3名は近くの部隊の壕作業に協力。2年生の内通信隊要員に合格した生徒は一中生徒と共に訓練を受け76名の学徒が第5砲兵司令部通信隊へ入隊。通常の業務のほか飛び交う砲弾や米軍機の中雑務を行った。同部隊は南部撤退後、炊事場としていた民家で砲撃を受け学徒9人が即死。米軍に包囲される中、斬り込みから突破命令へと変更され、学徒には攻撃用と自決用の手榴弾がそれぞれ1個渡される。米軍に見つかった際に手榴弾に手を掛けたことで攻撃されて戦死した学徒もいる。

 

【場所】〒901-0333 沖縄県糸満市字摩文仁620-2 平和祈念資料館東隣

 


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注意
これらの場所には危険な箇所もあります。服装や持ち物には十分注意し、子ども達だけ、または一人だけでは決して行かないようにしましょう。
また、草むらではハブに注意してください。