松村さんは1918(大正7)年、農業移民として単身フィリピンに渡る。
旧喜屋武村では初期のフィリピン移民である。ハツさんは松村さんの渡航から9年後の1927(昭和2)年にフィリピンに渡っている。『比律賓概要と沖縄縣人』*2によると、1927(昭和2)年10月当時、松村さんはミンダナオ島ダバオのバゴという耕地で麻栽培に従事し、12,200株の麻を栽培していたという。