市史だより145 (「広報いとまん」 平成17年7月号)「土地所有申請書」に見る糸満ウミンチューの展開

2013年2月1日
市史だより145 (「広報いとまん」 平成17年7月号)
「土地所有申請書」に見る糸満ウミンチューの展開
    
 戦争で土地に関する台帳の多くが灰燼に帰した沖縄では、1946年から51年にかけて、土地の所有者を明確にするための事業が行われました。その過程のなかで作成されたのが「土地所有申請書」です。この書類には、地籍ごとに地目、面積、土地所有者名及びその住所が記載されています。県公文書館に収蔵されるこの資料は、土地所有権を確認するため、現在でも閲覧者が絶えません。また、土地に関する記録のほかにも多くの情報が盛り込まれており、資料は私たちに様々なことを語りかけてくれます。
 今回の市史だよりでは、この「土地所有申請書」のなかにある、字糸満の門中墓の所有に関する記録から見えてくる、いくつかのことがらについて紹介します。門中墓は共同所有であるので、資料には門中構成員の氏名(世帯主)、住所、屋号が記載されています。この資料から、字糸満の25門中の墓、構成員1,340世帯についての記録を確認することができました。
 世帯数の多い門中を順に並べてみると、幸地腹356、玉城腹134、勢理腹107、保才腹77、与名城腹76、下茂腹56、大殿内腹53、伊佐腹52、赤比儀腹52、上地腹50となります。構成員の住所は、地元糸満が圧倒的に多く、全1,340世帯中1,122世帯となりますが、「奄美大島」「喜界島」「久米島」「黒島」といった記載もあり、糸満漁夫の空間的な広がりが見えてきます。
 字糸満以外の地域に住む世帯数を見ると、具志頭村港川106、八重山郡52、奄美諸島22となります(図参照)。これらの地域は糸満漁夫が糸満の分村を形成したところと重なります。余所の土地に住んでいても、多くの人々がふるさと糸満の門中の構成員であった背景には、いずれは糸満に帰るという考えがあったからだと思われます。
 次は、それぞれの地域に移り住んだ人々を出身門中ごとに比較すると、一部の門中の構成員に偏っていることがわかります。出身門中の世帯数を数えると、港川の場合、全106世帯のうち、幸地腹35、保才腹21、勢理腹20、大屋腹16世帯となります。八重山郡では52世帯中、幸地腹33、保才腹7、伊佐腹3となり、奄美諸島は22世帯のうち、幸地腹16、伊佐腹が3世帯となります。兄弟や親戚などの縁故を頼って、それぞれの地域へ進出した結果が、このような数字に表れています。
   
「土地所有申請書」に見るウミンチューの展開
      
      
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