市史だより150 (「広報いとまん」 平成19年6月号)本土行きの「パスポート」から

2013年2月1日
市史だより150 (「広報いとまん」 平成19年6月号)
本土行きの「パスポート」から
   
 沖縄が本土に復帰して、今年で35年。復帰前、米国施政権下にあった沖縄住民は、さまざまな規制・制限を受けていました。沖縄からの出域もその一つ。沖縄から本土へ自由に行くことはできませんでした。
 本土へ渡航しようとする沖縄の住民は、高等弁務官が発給する「パスポート」の取得が必要でした。正式には「日本渡航証明書」と呼ばれるもので、復帰前に本土に渡航したことのある方なら覚えていることでしょう。
 写真はその「日本渡航証明書」のページをめくったもので、左のページに英文、右のページにその日本語訳があります。これは、この証明書の持ち主である阿波根出身の神谷博明さん(東京在住)が東京の大学に進学する際に取得したもので、訳文には「……琉球住民 神谷博明は 留学のため 日本へ旅行するものであることを証明する。1960年10月19日 琉球列島高等弁務官」とあります。
 さらにページをめくると、神谷さんが沖縄・本土間を往復した際の審査のスタンプがいくつも押されています。神谷さんにとって、初の渡航は1960年12月23日で、那覇港の出入管理のスタンプで確認できます。白山丸に乗船した神谷さんは3日後の26日に東京に上陸しますが、東京での審査のスタンプは「日本国への帰国を証する。帰国年月日1960年12月26日 入国港東京」と、まるで外国から帰国したかのような記載がされています。そして、沖縄への帰郷に際し、鹿児島から那覇丸に乗船した時には「日本国からの出国を証する。出国年月日1961年1月27日出国港鹿児島」と、こちらもまた、外国へ旅立つかのような記録です。大学の休暇を利用して、沖縄に帰郷する神谷さんですが、その度に同様の出入管理審査を受けています。興味をひくのは「38・12・18 配給台帳登載済」のスタンプで、これは1963(昭和38)年12月18日に世田谷区の配給台帳に神谷さんの氏名が登録されたことを示すものです。この時期、神谷さんはこれまでの寮生活を終えて、友人とアパート暮らしを始めますが、この証明書を提示しないと米を買うことができなかったそうです。
 この一冊の「パスポート」は、所有者神谷さん個人の足跡を記録するだけでなく、復帰前の沖縄の特殊な状況、さらには高度経済成長の時代を迎えたとはいえ、まだ豊かとはいえない1960年代の日本の食糧事情を語る、貴重な歴史資料と言えるでしょう。
        
      
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