市史だより152 (「広報いとまん」 平成19年12月号) 『布哇之沖縄県人』より 新聞記者  大城白銀

2013年2月1日
市史だより152 (「広報いとまん」 平成19年12月号)
『布哇之沖縄県人』より 新聞記者  大城白銀
    
   

 県人初のハワイ上陸から、19年後の1919(大正8)年、県出身移民について記録した『布哇之沖縄県人』と題する書籍が、ハワイにおいて刊行された。同書にはハワイで社会的地位を築いた県出身移民百人余の紹介記事が掲載されている。
 今回は、そのなかから、字糸満出身の大城白銀についての記事を取り上げる。白銀は1888(明治21)年生まれ。本名は大城亀、後に剛と改名。1906(明治39)年に農業移民としてハワイに渡った。
 同書によると白銀は、「元来覇気に富み生気溌剌たる」性質で、高等小学校卒業後直ちにハワイに渡航し、ハワイ島ヒロ市にある山村幸八氏の海南新聞社で働いた。
 オアフ島で発生したストライキの際に、県人労働者の統一の必要性を痛感した白銀は、1909(明治42)年、ハワイにおける県人初の月刊誌『沖縄同胞』を発行。
 当時のハワイの県人社会では、人々は日々の暮らしの維持に精一杯で、少しでも余裕があれば、それを蓄え、沖縄を出る時につくった借金の返済や故郷への送金にまわしており、雑誌や新聞を手にする余裕のある者は多くなかった。
 そのような社会環境のなか、白銀は砂糖耕地で働く県人の所を駆け回って、印刷資金を調達して、雑誌を発行。特にオアフ島のホノルル市近郊に住む字糸満の同郷者の所を何度も訪問し、資金面での協力を求めた。結局、『沖縄同胞』は経営難のため、1年で廃刊となった。その後、白銀はヒロ市で謄写版刷りの「雷新聞」を発刊。「雷新聞」は1918(大正7)年に「布哇朝日新聞」と改題する。
 『布哇之沖縄県人』には、白銀の足跡とその剛胆な人柄を評して「君が在布10年の歴史は実に是れ奮戦苦闘の跡なり。必要の場合は決戦も敢て辞せざる君の性格は一方の闘志として在留民社会に重きを置かるるに至る」と記している。
 同書には、白銀の他に、字糸満の上原徳夫・玉城牛・玉城隆雄・大城徳雄、兼城の金城直造、与座の仲里次良、国吉の照屋智助の8人の本市出身者が紹介されている。

       
   
 
   
   
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