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11月2日(木曜日)、長野県佐久市にゆかりのある戦跡の整備に向けた意見交換を行うため、佐久市の柳田清二市長が糸満市役所を訪れました。
糸満市字伊敷にある糸洲の壕(ウッカーガマ)は、第二次世界大戦時に佐久市出身の軍医である小池勇助少佐が率いた第24師団第二野戦病院の跡地です。小池少佐は、当時同じ壕で看護活動をしていたふじ学徒隊25人に解散命令が出た際、全員必ず家族のもとへ帰るよう伝えました。他の学徒隊が多くの戦死者が出すなか、小池少佐の言葉を守ったふじ学徒隊の戦死者はわずか3人にとどまったと伝えられています。
柳田市長は「壕(ごう)や慰霊碑付近の整備については、地権者の考えを伺いながら佐久市の思いも伝え、両者にとって良い結果となるよう尽力いたします。子どもたちの平和学習においては、ゆかりのある場所に行くことで、より深く知ることができると考えています。佐久市の子どもたちのためにも今後ともご協力をよろしくお願いします」と話し、當銘市長は「慰霊碑や壕(ごう)については、遺族会や地権者の皆さまによって維持管理されていることが多々あるため、今回のお話をいただけてとてもうれしいです。整備には課題も多くあるかと思いますが、ぜひ取り組みを進めていただきたいです」と話しました。
また、11月3日(金曜日)には、柳田市長らと地権者の親族による壕(ごう)の整備に向けた話し合いが行われ、地権者を代表して新垣雄太郎さんは「慰霊碑や壕は修学旅行生や個人参拝者も多く足を運ばれています。整備していただけるのであれば皆さんにとっても良いことなので、私たちも協力していきたいです」と話しました。