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市史だより149 (「広報いとまん」 平成18年10月号)クイズで答える世界のイチマンチュ
今月2日からいよいよ世界のウチナーンチュ大会が開催されます。世界各地から多くのウチナーンチュが来沖しますが、そのなかには皆さんの親戚や友人もいらっしゃるものと思います。そこで、今回の市史だよりでは、本市の移民の歴史をクイズ形式で出題してみました。さあ、あなたは何問正解できるでしょうか?
第1問 糸満市から初めて海外に移民したのはいつ?
- ア.1872年
- イ.1900年
- ウ.1914年
第2問 戦前、糸満市からの移民が最も多かった地域はどこ?
- ア.フィリピン
- イ.ハワイ
- ウ.ブラジル
第3問 戦前、神戸からブラジルまで船で何日かかった?
- ア.約10日
- イ.約30日
- ウ.約50日
第4問 戦前、糸満市から海外へ渡航した人は何人?
- ア.約3千人
- イ.約5千人
- ウ.約6千人
解説
第1問
正解はイ。1900(明治33)年にハワイのオアフ島に上陸した26人が、沖縄から初めての海外移民です。この時の団長が、字糸満の上原98郎。当時、32歳だった上原はサトウキビ農場で働く契約労働者としてハワイに渡りました。
第2問
正解はア。糸満市から渡航者の多かった地域を順に並べると、フィリピン1932人、ハワイ1150人、マレーシア・シンガポール1016人、ブラジル701人、ペルー435人となります。フィリピンへの渡航者は字糸満出身者が1241人と圧倒的に多く、次いで与座(豊原含む)182人、真壁97人と続きます。
第3問
正解はウ。第1回のブラジル移民を乗せた笠戸丸を例にあげると、1908(明治41)年4月28日、神戸を出航。シンガポール、ケープタウンを経由して大西洋を渡り、50日余の航海を経て6月8日ブラジルのサントス港へ入港しました。
ちなみに、航海中に伝染病が蔓延するなど移民史のなかでも他に例を見ない苦渋をなめた、1918(大正7)年4月、神戸を出航した若狭丸の場合、出発から80余日後にサントス港に入港。長い船旅で衰弱する者も多く、糸満市出身の妊婦5人も栄養障害が原因で、船中で亡くなりました。
第4問
正解はウ。延べ5855人の本市出身者が海外に渡っています(但し満州や南洋群島などへの渡航者は含まない)。旧町村別の内訳は、糸満町3053人、兼城村981人、高嶺村824人、真壁村629人、喜屋武村158人、摩文仁村208人となります。
市史だよりNo. 130/132/133/134/135/136/137/138/139/140
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